最近、読書についていろいろ考えています。
夏休みということもあり、図書館ではTD Summer Reading Club(このプログラムについては、先日このブログで少し書きました。)、日本語学校の宿題にも読書感想文があります。息子はもう9歳ですから、絵本ではなくて、物語というか小説というか文字量の多い本を読んでほしいなと。でも図書館に行って「借りる本を探しなさい。」というと、絵本か、写真がたくさんある電車の本ばかり。これでは感想文が書けないと思い、少し短めで、挿絵が比較的多い本を私が探して借りて、「1日25ページ読みなさい。」と決めてみたり。
「なぜ、私は息子に、絵本でも電車の本でもなく、『文字量の多い本』を読んでほしいと思うのか」
「どうやったら、自主的に読んでくれるのか。」と、本を読ませる策を考えている時、ふと疑問に思いました。
小学生のころ、図書室にあった伝記や名作集を借りまくって読んだ自分を、息子に投影させているのか。
本を読ませることで、知識や見分を広めてほしいと思っているのか。
「For Grade 3-5」とか「小学生低学年向け」と本の裏表紙やレビューに書かれているのに、全く興味を示さない息子に焦っているのか。
多読=頭がいい、或いは品格が備わる のようなステレオタイプにとらわれているのか。
ぐるぐる考えを巡らせて分かったのは、息子が本を読むということに対して、どれも私の考えや関心事が中心となっていることだということでした。ホームスクールを始めて、二年半経ったのに、いろいろなことに囚われてしまっていて、私もまだまだですね。これからの息子の読書については、息子の行動や志向を見ることと、私自身考える必要がありそうです。
その日の夜は、息子が選んだ「きょうはなんの日」という絵本を読みました。